プロフィール

このページ上部の写真、左上と右下のマイクを持っている男性は講演中の私です。


Story 僕がコンサルタントになった理由


平成20年(2008年)の暮れも押し迫った頃。

僕は月例の営業会議で、今期の売上目標達成を報告した。


従業員数10人ほどの中小企業(印刷関連)で、

年間売上2億4千万強の結果だ。


しかし社長は、会議室を出る間際、僕の耳元で

「信じられない言葉」を囁いた。


その前年、平成19年(2007年)の秋、

僕は勤務していたweb制作会社の社長から直々に、

重要なミッションを依頼された。


「関連会社の業績回復を手伝ってくれないか」


僕は一瞬、躊躇った。なぜなら、すでに斜陽業界だったからだ。

自分自身が前職でその業界に10数年、営業職を勤めていた。


もう将来性を見込めない、だからweb業界への転職を決意したのだ。

これまでの自分の知識と経験が「井の中の蛙」でないことを確認するために、

印刷営業士の国家資格も取得して「卒業」したのだ。


その会社も業界他社と同じく、毎年右肩下がりの売上になっていた。

毎年、前年と比べれば数パーセントの下降であった。

しかし3年~5年前と比較すれば、その下降率は一目了然だ。

そんな現実には目を背けてきたのだろう。


僕は自分の経験に基づいた意見と、ゆえに

生じる問題や疑問を正直に打ち明けた。


「でも、力を貸してほしい」


その関連会社は、社長の父上が創業し、

社長の兄上が継いで経営していた親会社だ。

しかし兄上が急逝したことが、今回の発端だった。


悩んだ挙句、結局僕はその会社に赴くことにした。

僕自身、その会社を全く知らないわけでもなく、

実際何人かの社員の方とは前職での面識もあった。

他人事、で片付ける訳にはいかなかった。


そこで僕はまず、会社の契約する社外の会計事務所と

連携して、業績回復の事業計画書の作成に着手した。


続いて現状の問題点を探るべく、過去5年間の全取引先

(約150件)の売上実績を集計、分析することから始めた。

すると、ある傾向が見つかった。


全取引先、約150社での売上の80%を占めるのは、

上位20社の売上。いわゆる、パレートの法則だった。


加えて自分の過去の経験や知識が、現在の市場でも通用するのか、

確かめる必要もあった。社外から来た人間が、いきなり改革に

着手しようものなら、現状の営業メンバー3名から反発を喰らう

ことは目に見えている。「上から目線」と取られては、協力を

仰ぐことは不可能だ。


そこで僕はひとりで新規獲得に奔走した。少なくとも

3カ月以内に、最低一件の新規顧客を獲得し、実力を

提示できなければ間に合わない。


その目標達成のために、毎日自転車で市内を駆け回った。

断られるたびに、その言葉をメモする。担当者の心理を考えて

マーケティングに関する書籍を読みあさる、研究の日々。


名刺にキャッチコピーを書き加えたり、自作のチラシを手渡し

したりと悪戦苦闘。試行錯誤を繰り返しながら、3カ月目に

ぎりぎりで、ようやく一件獲得することに成功した。


次に売上実績の分析結果を基に、行動計画を作成。

業績アップの戦略と戦術を導き出した。

主なものは、以下の通りだ。


・売上の上位20社を、その取引内容に応じて、

営業担当を再配置。他の取引先は売上実績に

応じて取引自体を再考。効率を上げて、新規を

訪問する時間を作る。


・各営業マンの業務上の裁量を拡大した。例えば、

取引先での競合他社との見積り。要望に応じた

価格調整は、利益率のデッドラインを超えない限り、

その場で営業マン自身が価格を決定できる権限を

委譲した。


・営業日報や見積書など、日々の提出書類のフォーマットを変更。

簡素化に伴い、閲覧確認する上司とのコミュニケーション拡充を重視。


・営業会議を月に2回、20日と末日に行った。

取引先の締日に合わせ、まだ売上にできていない商品の

進捗や未決済の見積の状況を確認。いつ売上に出来るのかを

詰めていった。


・土曜日を休日にして、週休2日制を導入した。

多くの取引先が土曜日を休日にしているにも関わらず、

会社は営業していた。そのため現場は土曜日にする仕事を

わざと残していた。そこで土曜は平日の遅れを取り戻すため、

あるいは営業が新規または至急の仕事を依頼された際に出勤、

対処する予備日に設定した。


・売上目標が達成できた月には、希望者を募って食事会を

開催した。営業と現場のコミュニケーションを重視、連携強化を

目的とした。飲み会とせず、食事会としたのはアルコールが強制

されることなく、女性も安心して参加できるように配慮した結果だ。

また僕自身、アルコールが苦手だ。


結果は思ったよりも早く現れた。顧客との交渉採決が

劇的にスピードアップ、取引先から信用を得ることができた。


営業マン自身も責任と結果が伴うために、少しずつ自信が

持てるようになった。売上はみるみる上がっていく。


現場は土曜を休みにするために平日の作業効率を向上させた。

結果、至急の依頼にも対応出来るようになった。生産性は見事に、

急激に向上した。社員全員が笑顔になった。


そして3ヶ月後には初の当月売上目標、2,000万を達成。

食事会も催された。営業、現場ともに全員が会に参加してくれ、

大いに盛り上がった。


時は、平成20年(2008年)、秋にはリーマンショックで

世界が揺れ動いた。その一年も慌ただしく過ぎ去り、

暮れも押し迫った頃。月例の営業会議が終了した直後、

会議室を出る間際に社長は僕の耳元で囁いた。


「お前は、この会社で絶対、幹部になれない」


僕は自分の耳を疑った。評価される、と思っていた。

この台詞をまったく理解できなかった。


社員である僕にとって、社長直々のミッションは

「必ず達成しなければならない」業務命令だ。

達成することが社長の、社員全員の喜びにつながると

信じて必死に業務を遂行した。


しかも社長も僕も、一度見切りを付けた斜陽産業だ。

創業者である社長の父上も、そして兄上さえも業績を

回復出来なかった。ところが優れた人物でさえ、自らの理想を

追求する行動で失敗することは、もちろんありうることだ。


しかも最初から失敗しようと思って、行動する者はいない。

よからぬことを追求して成功するのは恥ずべきことだが、

理想を追求する実践で失敗を経験するのはむしろ名誉なことでもある。

加えて、理想を追求して成功するのは、さらにいいことだ。


そんな業績回復をたった一年で、しかも外から来た人間が

成し遂げてしまった。この結果がどれほど創業者一族の

プライドを傷つけることになるか、当時の僕には気づけなかった。


しかし、プライドだけでは何も生み出せない。


平成21年(2009年)、市内中心部の綺麗な自社ビルへと

拠点を新たに移した。その後も売上は安定して、翌年に僕の業務は

すべて後任へと移行された。


ほどなくしてグループ全体の組織変更が行われ、僕は名ばかりの

閑職へと追いやられた。辞めろとは言わない、だからこそ社長は

「あの台詞」で僕を自分から辞めるように仕向けたのだろう。


僕はこの経験を基に「本当に社員や会社のこと、顧客のことを考え、

自分であらゆる手段を尽くしたにも関わらず、対処できない問題を

抱える経営者を手助けするために自分の能力を活かす」と強く心に

決めて独立した。


日本経済の基盤を支える企業のうち、その99%を中小企業が占めている。

僕はその中小企業を支援して、日本経済を元気にする。この京都から経済を

活発にするために活動していく。これがクリエイティブ・エージェンシー 

ルキウスのビジョンである。


きっかけは社外の会計事務所と連携して、業績回復の事業計画書に

着手していた時のことだ。会計事務所の女性の方に

「経営コンサルタントの方ですか?」と言われたことだ。


なぜ、そう思ったのかを訊ねたところ、資料の作り方、話す内容が

「まるでコンサルタント」だった、と彼女の弁。思えば、この言葉は

新たな一歩を踏み出す、背中を押してくれたひと言だった。


しかし困難は続いた。


独立起業の翌年、2011年に東日本大震災が発生しました。

亡くなられたすべての方々へ哀悼の意を表します。


震災の影響で、進めていた大きなプロジェクトが2本、中止になった。

数百万の仕事がなくなった。スタートアップをこの2本に賭けていた

僕は一気にどん底に突き落とされた。


生活のため、資金のために、包装工場の夜勤、進学塾の講師、建設会社の事務、

スポーツジムの管理など様々なアルバイトを行なった。今まで知らなかった、

見たこともなかった社会の側面を数多く見てきた。



震災で社会はかつてない大きな不安に包まれて、消費者の価値観も激しく、

大きく変化していた。


いま、どうすれば人の役に立てるのか、どうすれば人を笑顔にできるのか。

それだけを考え続け、ただ行動するしか僕にはできなかった。


悩み続ける毎日、試行錯誤の活動と並行してボランティア活動、

社会福祉法人滋賀県社会福祉協議会主催「第一回学区・小地区福祉活動

フォーラムinしが」に実行委員として参加、地域福祉の推進に協力した。

旧知のカメラマンからの誘いで参加した、このボランティア活動。


僕たちのチームは参加者の笑顔を写真に撮り、その写真を切り貼りして

琵琶湖の形にするアートを創った。この作品は大きな反響を呼び、

活動終了時にはスタッフ全員でアート作品を囲み、記念撮影が行われた。

それが下の写真だ。僕は垂れ幕の右端、白い服装でしゃがんでいる。


この活動を通じて、社会貢献のために、人びとを勇気づけるため、

元気にするため、笑顔にするために希望を届けるべきだ、と気づいた。


大学時代には、経済学を専攻してきた。(京都産業大学経済学部卒業)

経済学とは時間とお金をいかに有効に活用していくか研究し、

人々がどうすれば幸せな生活を送ることができるのか、を考える学問だ。


経済学の父といわれるアダム・スミス氏は主著「国富論」よりも前に

「道徳感情論」を上梓している。「道徳感情論」は人々の感情が社会に

及ぼす影響などを分析した、心理学の原型ともいえる内容になっている。


ともすれば宗教的な善悪感だけで済まされがちな「道徳」や「感情」というものを、

社会学的にアプローチし「共感」がいかに人間社会のバランスを取るのに役立っているかを

説いている。こうしたスミス氏の思想は、現代の行動経済学者からも再評価されており、

その先見性を感じさせる。


行動経済学とは、心理学の知見や実験から得られたデータを経済学に応用して、

新たな経済理論の構築を目指す学問だ。


2002年度にダニエル・カーネマン氏(イスラエル)がノーベル経済学賞を

受賞して以来、日本国内でも行動経済学に注目が高まっている。


2013年に受賞したイェール大学のロバート・シラー教授に続いて、

2017年のノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏

(アメリカ、シカゴ大教授)も、行動経済学の権威である。


また統計学とは、どんな分野においてもデータを集めて分析することで、

最速で最善の答えを出すことができる学問だ。


ルキウスは行動経済学と統計学に基づいて消費者の経済活動を分析、

独自の提案を行っている。また昨今ではランチェスター経営戦略、

アドラー心理学や哲学なども取り入れている。


リーマンショックの時に業績回復、東日本大震災からの立ち直り。

おかげさまで、お客様からは「逆境に強いコンサルティング」と言われている。

上に書かれたコンサルティングも一例であり、お客様の問題解決に応じて個別に

対応している。


行動経済学の知見を活用して、人びとの選択の自由を最大限に利用しながら

社会が良い方に向うよう、人びとの背中を優しく押して行くこと(ナッジ)。

それがクリエイティブ・エージェンシー ルキウスのミッションである。


しかし自分ひとりだけで影響を及ぼせる範囲には限界があることも痛感している。

今後もルキウスとして自走していくためにはビジョンを伝え、喜びも辛さも共有できる

仲間たち(アライアンス・パートナー)とチームを組むことが大切だ、と考えている。


「くわしく自分たちの悩みを打ち明けて初めて、それを心の中から追い出すことが出来るのです。

ひとりで思いわずらい、自分だけの胸に抱きしめている限り、神経の緊張は増すばかりです。

私たちは皆、自分たちの悩みを分かち合わねばなりません。苦労を分け合わねばなりません」

 ー デールカーネギー「道は開ける」25 疲労を忘れ、若さを保つ方法 より


現在の主な活動状況

■ ビジネス交流会「京都LBクラブ」でのコミュニティ


個のチカラが集まり始めると、やがてコミュニティを形成していきます。

例え、ひとつひとつは小さなチカラでも、互いに連携することにより、

大きなチカラになります。それぞれの活動目的が異なっていても、

その地域における経済・文化活動の担い手であることに変わりありません。


京都LBクラブ ランチェスタービジネス京都に参加しております。

ランチェスター経営戦略を基本として業績向上、経営安定をめざし、

現場で活用できる戦略、戦術を勉強する会です。新たなメンバーも随時、

募集しております。詳しくは上記リンクよりサイトをご覧ください。




クリエイティブ・エージェンシー ルキウス

〒600-8491 京都市下京区室町通綾小路上る鶏鉾町480番地 オフィス-ワン四条烏丸 204号

阪急京都線・烏丸駅、または京都市営地下鉄烏丸線・四条駅にて下車、25番出口を左に出てすぐ徒歩1分。